Tokyo Stillness
See Tokyo, differently.
Interview 2026.10.02
なぜ、ホテルにアートが必要なのか。東京湾の「海・風・光」を映す、ヒルトン東京お台場の静けさへの旅
東京湾を望むヒルトン東京お台場の館内には、海、風、光をモチーフにしたアートが静かに点在しています。鑑賞を求めるのではなく、ゲストが歩く時間に寄り添い、内装や光と呼吸を合わせる。リニューアルのアートディレクションを担った髙木久美さんと、パブリックエリア5カ所の金属作品を制作した宮川和音さんに、ホテルにアートを置く意味と、その制作の舞台裏を聞きました。

(左)宮川 和音
金工作家
千葉県船橋市生まれ。東京藝術大学美術学部工芸科鍛金を卒業後、同大学大学院を修了。金属を素材に、工芸作品、ジュエリー、家具、建築金物など、ジャンルを限定せず幅広い制作を手がける。素材の特性に加え、加工方法や構造、設置条件まで含めて作品を構築する。今回、ヒルトン東京お台場のパブリックエリア5カ所の金属作品を制作。
(右)髙木久美
株式会社 策ト術 代表取締役/creative decorator
ホテルや商業空間などのアートワークに携わり、空間のコンセプトや地域性、ブランドの考えを読み解きながら、アート計画、作家選定、制作ディレクションまで手がける。今回のヒルトン東京お台場では、パブリックエリアのアートディレクションを担当。
館内を歩いてみると、アートは「作品を見る」という構えを求めることなく、不意に視界へ入ってくる。水面のような金属の造形、壁面に影を落とすリング、通路を流れていく風のようなライン。
それらがなぜ、このホテルに必要だったのか。まず髙木氏に、プロジェクトの出発点から聞いた。
「今回の出発点にあったのは、『海と都市が出会う、静けさの華』という考え方でした。華美ではなく、控えめな品格があること。そして、ゲスト自身の記憶や感情が入り込める“余白”をつくることを大切にしました」(髙木氏)
だからこそ、作品単体で強く主張するのではなく、空間と自然に馴染みながら、ホテルで過ごす時間そのものを少し豊かにする。
「そこにあるんだけれど、空間に溶け込んでいる。お客様がその場所を少し心地よく体験するための“エッセンス”のような存在がいいと思っていました」(髙木氏)

窓の外にある東京湾を、もう一度描く必要はない
ヒルトン東京お台場の最大の魅力のひとつは、やはり東京湾の眺望だ。
レインボーブリッジや都市の景色を背景に、水面は朝、昼、夕方、夜と表情を変えていく。
だからこそ髙木氏は、東京湾そのものを作品の中に再現することは考えなかったという。
「目の前には、本物の東京湾があります。それをもう一度絵にしたり、造形したりするのではなく、その景色の奥にあるものを表現したかったんです」(髙木氏)
風。
水面の揺らぎ。
光の反射。
時間の移ろい。
「形がなく、手では触れられないけれど確かに感じるもの。それを見える形にしていくのも、アートができることの一つだと思っています」(髙木氏)
そこから今回の作品群を貫く「東京湾の海・風・光」というテーマが生まれた。
「月が映る海(Moon Fragment)」。月明かりが波に揺れながら水面へ溶け込んでいく幻想的な情景を表現した作品。やわらかな光を受けることで、東京湾の夜の海が持つ静けさをより深く感じられるよう意図されている。
作家の中にもあった、東京湾の記憶
髙木氏が宮川氏を選んだ理由のひとつは、その造形力にあった。
「宮川さんは本当に技術の引き出しが多いんです。こちらが一つ伝えると、十くらいの答えが返ってくるような感覚があります。今回は5カ所の作品を一つの世界観でつなぎながら、それぞれ異なる現場条件にも対応する必要がありました。それを一人でできる作家さんは、そう多くありません」(髙木氏)
しかも宮川氏自身、東京湾のすぐ近くで育っていた。
「僕は千葉の船橋生まれなんです。祖父の染色工場が市の中心を流れる海老川という川沿いにあって、そこから海までも近かったので、東京湾はずっと身近な存在でした」(宮川氏)
宮川氏が記憶する東京湾は、美しい風景だけではない。
「晴れた日は爽やかな風や光がある。でも雨の日は湿った空気や潮の匂いがするし、夜になると飲み込まれそうな黒い海にもなる。きれいなだけじゃなくて、妖しさや怖さもある。僕にとって東京湾は、そういういろいろな表情を持った場所なんです」(宮川氏)

ホテルがテーマとして掲げた東京湾と、作家自身の原風景。
その二つが、作品の中で自然に重なっていった。
「金属なのに、金属ではないもの」をつくる
今回の作品に使われているのは、主に金属だ。
だが、海や風や光という柔らかく変化するものを表現するには、一見すると正反対の素材にも思える。
「金属は強度があるので、限界まで薄く、細く、繊細にできます。その一方で、どうしても冷たく無機質な印象が残る。今回はその金属感をできるだけ消したかったんです」(宮川氏)
「波紋の余韻(Surface Echo)」。水面に広がるさざ波と光の反射を、幾重にも重なるレイヤーとして表現した作品。立つ位置によって奥行きや陰影が変化し、静かな水面が絶えず揺らいでいるような感覚を生み出す。
そこで宮川氏が目指したのが、本人の言葉を借りれば「謎の物質」だった。
有機的なラインで金属を切り出し、加工時に生じる歪みも、必ずしも修正するのではなく素材自身の動きとして残す。そして特に試行錯誤したのが塗装だった。
「塗装業者さんは本来ムラをなくして均一に塗るのが技術なんです。でも今回は逆で、“もっとムラを出してください”とお願いをしました」(宮川氏)
作品表面を近くで見ると、均一な金属板とは異なる複雑な質感が浮かび上がる。塗膜を縮ませる表現やムラを生かした塗装を重ね、宮川氏が語る「金属なんだけれど、金属ではない“謎の物質”」へ近づけていった。
塗膜を縮ませたり、複数の色を重ねたり、メッキ塗装を施したり。何度もサンプルを作りながら、金属らしい冷たさを消していった。
二人が特に試行錯誤を重ねたのが、作品の表情を左右する塗装だった。
「『これは厚すぎる』『ちょっと重たい』『もう少しこういう色がいい』と、実物を見ながら決めていきました。宮川さんが途中で“迷彩”と表現した時に、こちらもすとんと腑に落ちたんです」(髙木氏)
言葉だけで完成形を考え続けるのではなく、まず作る。
作って、見る。
違えば削る。
そこからまた考える。
二人の制作は、その繰り返しだった。
ホテルのアートは、「足を止めさせない」こともできる
実際に館内の作品を巡っていくと、それぞれが置かれた場所に応じて性格を変えていることが分かる。
見る位置によって影の形が変わるもの。
光を受け、水面の揺らぎのように見えるもの。
そして通路に沿って、流れるように配置された「風」を思わせる作品。
その前で髙木氏が話した言葉が印象的だった。
「ここは、足を止めさせないんです」(髙木氏)
美術館では、作品の前に立って、見る。そして考える。
しかしホテルの通路には、人の流れがある。
「お客様は客室やレストランなど、それぞれの目的地へ向かって歩いています。その人と一緒に流れていく、風のような存在でいいと思ったんです」(髙木氏)
「海風の軌跡(Sea Breeze Trace)」。目には見えない海風が描く軌跡を、抽象的なフォルムで表現した作品。歩く速度や見る位置によって印象が変わり、館内を進むゲストの動きとともに風が流れていくように感じられる。
歩く。
ふと目に入る。
光が変わる。
角度が変わる。
そしてまた歩く。
「鑑賞者が作品の前へ行くのではなく、作品の方がゲストの旅の途中に現れる。そんなイメージです」(髙木氏)
「海と光のはじまり(Breathing Rings)」。東京湾の水面に広がる波紋と都市の光が重なり合う瞬間を表現した作品。光の当たり方や見る位置によって影が変化し、時間とともに作品の表情もゆっくりと移り変わっていく。
その考え方は、今回の5作品すべてに通じている。
作品そのものを見せること以上に、ロビーから館内、そして客室へと移動する体験の中で「海・風・光」が緩やかにつながっていくこと。
「館内を巡る時間そのものが、静けさへの旅になる。その中でアートが自然に現れてくることを意識しました」(髙木氏)
静けさをつくるのは、「足すこと」だけではない
制作過程では、現在よりも多くの要素が入っていた作品もあったという。
そこから少しずつ削っていった。
「最初はもっといろいろ入っていたんです。でも、どんどん引きました。余白が必要だったからです」(髙木氏)
壁面を埋め尽くせば、作品そのものの情報量は増える。しかし同時に、見る人にとっては緊張感も増していく。
何を置くかだけではなく、何を置かないか。
どのパーツを残すか。
どこに余白をつくるか。
その積み重ねによって、ホテルの中に「静けさ」が生まれていく。
そして取材の最後、髙木氏は今回のアートのあり方を、次のように言葉にした。
「アートだけで成立しているわけではありません。内装や光だったり、空間だったり、そこで過ごす人の時間だったり。そういうものと呼吸を合わせながら存在している感じがいいんです」(髙木氏)
「風が流れる瞬間(Elegant Current)」。重なり合う繊細なラインによって、目には見えない海風の流れを表現した作品。見る角度によってラインの重なり方が変わり、風がその場を通り抜けていくような立体感を感じさせる。
ヒルトン東京お台場を訪れたら、5つの作品をすべて探す必要はない。
作品名を覚える必要も、意味を理解する必要もない。
歩いている途中で、少し気になる。
光がきれいだと思う。
壁に落ちる影に、一瞬目を止める。
それだけでも十分なのだ。
そして客室に着き、窓の外の東京湾をもう一度眺めたとき。
館内で見た造形の記憶が、水面の揺らぎや、そこを吹き抜ける見えない風と重なるかもしれない。
東京という都市から、海辺の静けさへ。
ヒルトン東京お台場のアートは、その気持ちの切り替わりを目立たないところから静かに支えている。
アートを見るための旅ではなく、アートによって旅の見え方が少し変わる。
それが、このホテルがつくろうとしている「静けさへの旅」なのだと思う。




