English

Tokyo Stillness
See Tokyo, differently.

Nature & Landscape of Japan 2026.05.27

青海波に千鳥が舞う。錺職人・塩澤政子さんが銀に刻む、静かな風景

執筆:金谷 勉(クリエイティブディレクター / セメントプロデュースデザイン代表)

東京の中には、急がない時間がまだ残っている。錺職人・塩澤政子さんの工房で響くのは、銀を打つ鏨の音。一打一打を重ねることで、青海波が立ち上がり、千鳥が舞い、手のひらの中に小さな風景が生まれていく。効率や新しさだけでは測れない、手仕事に宿る静けさとは何か。クリエイティブディレクターの金谷勉さんが、塩澤さんの工房を訪ね、日本のものづくりに受け継がれてきた時間の価値を見つめる。

手のひらの銀に、静かな風景が宿る

純銀の名刺入れを取り出すと、決まって「重いですね」「でも、冷たくない」と言われる。表面には、静かな波が幾重にも続く「青海波」の文様。その波間を、一羽の千鳥がふっくらと飛んでいる。この名刺入れをつくってくれたのが、錺職人の塩澤政子さんだ。

東京には、声高に主張しなくても、確かな美しさを宿す仕事がある。遠くから眺める景色だけでなく、手のひらの中にも、静かな風景は存在する。

一打一打が、静かな波を立ち上げる

錺(かざり)という言葉は、今の日本では少し忘れられかけている。社寺建築や御神輿を飾る金具、箪笥の隅を補強しながら美しく見せる金具――そうした和の金物を支えてきた職人仕事が、錺である。

塩澤さんの工房に足を踏み入れると、まず目に飛び込んでくるのは、机いっぱいに並んだ鏨(たがね)の群れだ。大小さまざまな金属の棒。その一本一本が、波になり、七宝になり、千鳥になる。

青海波の文様は、決して「型」で押しているわけではない。扇形の鏨をひとつ打つたびに、わずかに金属が凹み、その周囲がふくらみ、光の反射が変わる。その一打ちを、途方もない数だけ重ねることで、ようやく「波」が立ち上がる。

七宝文様も同じだ。円形のスタンプがあるわけではなく、葉のような楕円の鏨を少しずつずらして打ち、輪郭を結んでいく。手を止めた瞬間、リズムは途切れ、線は歪む。だから一面を仕上げるまでは、一気に打ち続けるしかない。

仕事は主に夜に進むという。電話も鳴らず、誰も訪ねてこない時間帯に、ただ金属と向き合い続ける。

その時間には、都市の喧騒とは別の速度が流れている。鏨が銀を打つ音だけが響き、文様が少しずつ立ち上がっていく。その静けさは、ただ音がないという意味ではない。余計なものが削ぎ落とされ、手と素材だけが向き合う濃密な時間である。

焼け残った道具に、受け継がれてきた時間が宿る

「集中が切れたら、最初からやり直し」と笑いながら話すが、その言葉の裏には、何枚も何枚もボツにしてきた時間が積もっているはずだ。

工房の棚から、黒く焼けただれた鏨の束を見せてくれたことがある。第二次世界大戦の空襲で、避難のためにまとめておいた道具が一度は焼け落ち、それを近所の人が拾い集めてくれたものだという。

表面は荒れ、柄も短くなっているが、それでも「うちの財産だから」と大事に使い続けている。その姿に、道具を使い捨てる時代とはまったく別の時間感覚を見た気がした。

新しいものへと次々に置き換わっていく都市の中で、焼け残った道具を使い続けるということ。それは単なる懐古ではなく、時間を捨てずに受け継ぐという態度でもある。

祈りと機能が、同じ一打ちの中にある

塩澤家の仕事の原点は、社寺や御神輿の錺金具にある。角を守り、構造を補強しながら、細かな文様で「祈り」を刻み込む。丈夫であることと、美しいこと。その両方が、同じ一打ちの中に求められてきた。

だからこそ、彼女のつくる名刺入れやアクセサリーには、単なる飾り以上の“強さ”が宿っている。毎日ポケットに入れていてもびくともしない堅牢さと、手に取るたびに少しずつ変化していく表情。そのギャップが、持ち主を満足させる。

おもしろいのは、モチーフの選び方だ。神社の家紋、大黒さまの巾着、御神輿の一部だった文様……。本来は祭礼空間に属していた図案が、箸置きやマグネット、ゴルフマーカーといった日用品のなかにさりげなく現れる。

「かわいいと思うと、つい形にしちゃうんです」と笑うそのノリは軽やかだが、ベースにあるのは、社寺金具で鍛えられた厳しい技術である。

祈りや物語を、日常の中へそっと移し替えること。そこに、塩澤さんの仕事の魅力がある。大げさに語らなくても、手に取った瞬間に伝わるものがある。

装飾は、余分なものではなく、物語を宿すもの

プロダクトデザイナーとして、僕はいつも「装飾と機能の両立」を考えてきた。塩澤さんの仕事は、その問いへのひとつの完成形だと思う。角を守るための金具に、吉祥文様を刻む。その一手間によって、同じ「補強金具」が突然、祈りや物語を帯びはじめる。

名刺入れも同じだ。名刺を守る箱であると同時に、持ち主の趣味や価値観を静かに伝えるメディアになっている。

大量生産のプロダクトに慣れてしまうと、「文様を刻む」という行為は、単に余分なコストに見えるかもしれない。けれど、一打一打の痕跡が残るものを手にすると、不思議と安心する。

人の手が確かにそこを通り、時間が費やされている。その密度が、銀の冷たさを中和し、しっとりとした温度を生み出しているのだと思う。

効率だけでは測れない価値が、そこにはある。時間をかけること。手を動かすこと。目に見える機能以上のものを、静かに宿らせること。塩澤さんの錺は、そうした日本のものづくりの豊かさを、小さな金属の中に閉じ込めている。

手のひらに持ち帰る、日本の静かな風景

日本のクラフトマンシップを語るとき、伝統工芸は“遠い世界”として紹介されがちだ。博物館や神社に行かないと出会えないもの、というイメージがつきまとう。

しかし塩澤さんの仕事に触れていると、「手のひらサイズでいいから、日常に持ち帰りたい」という感情が自然と湧いてくる。名刺入れでも、箸置きでも、マグネットでもいい。生活のなかに一つだけ錺の品を置くことで、自分の時間の流れまで少し変わるような気がする。

工房で塩澤さんの作業を眺めていると、金属を叩くリズムが、いつのまにか呼吸と同期してくる。コンピュータの画面やスマートフォンとはまったく違う速度で、世界が進んでいることを思い出させてくれる時間だ。

銀の板に刻まれた波と千鳥の名刺入れは、その時間のかけらをポケットに忍ばせておける、小さな風景なのかもしれない。

東京という都市は、常に変わり続けている。けれどその一方で、こうした手仕事の中には、急がない時間、受け継がれてきた美意識、そして静かに積み重ねられてきた風景が残っている。ヒルトン東京お台場が提案するStillnessもまた、そうした時間の価値に目を向けるための視点である。

海と空を前に、少しだけ都市の速度から離れる。あるいは、手のひらの銀に刻まれた波を眺める。どちらも、東京の中にある静けさを受け取るための時間なのだ。

金谷 勉(かなや つとむ)

セメントプロデュースデザイン代表取締役。 京都精華大学、金沢美術工芸大学講師。 「みんなの地域産業協業活動」を掲げ、全国600を超える町工場や職人と共に、技術を活かした新たな商品開発や販路開拓をプロデュースしている。著書に『小さな企業が生き残る』(日経BP)など。
URL: https://www.cementdesign.com/

 

  • line

宿泊予約システム移行のお知らせ

2017年8月1日(火)より、宿泊予約オンラインシステムを変更させていただくこととなりました。つきましては、新システム移行に伴い、現在ご利用いただいておりますお客様には、大変ご不便とご迷惑をおかけいたしますが、何卒ご理解とご協力を賜りますようお願い申し上げます。

詳しくはこちら

Page Top

sptest